東日本大震災を「風化させない」事の難しさ:第2次世界大戦、関東大震災、阪神・淡路大震災等は風化しているのかいないのか?

代表のつぶやき

3.11 東日本大震災。

もう3年経つのですね、あの衝撃の1日から。

昨日の3月11日、黙祷を捧げた方もいるのではないでしょうか。

 

blogやFacebook等で「風化させてはならない」という言葉を多く目にしました。

あれだけの災害だったわけですから、私も脳裏に強く焼きついていますし、後世に伝えていくべきだと思っています。

 

ただ、「風化をさせない」というのはどういう事なのか?

どういう事が「風化をさせない」状況であり、理想的な形であると言えるのであろうか。

 

風化の意味、調べてみました。

 

◇参考:goo辞書

1 地表の岩石が、日射・空気・水・生物などの作用で、しだいに破壊されること。

2 記憶や印象が月日とともに薄れていくこと。

3 徳によって教化すること。

4 「風解(ふうかい)」に同じ。

 

つまりは、

「東日本大震災の記憶や印象を、月日とともに薄れさせない」

って事ですね。

 

現状で言えば、ほとんどの方が覚えている災害であり、深く印象に刻まれていることと思います。

では、過去に起きた大災害に関しては、風化していないのでしょうか。

 

例えば、第二次世界大戦。

例えば、関東大震災。

例えば、阪神・淡路大震災。

これらの戦争・災害に関して、どれだけ多くの方が「記憶」や「印象」を「月日とともに薄れさせていない」のでしょうか。

 

上記の戦争・災害を、死傷者数で比較してみました。

 

【第二次世界大戦】

人的損失(被害者:全世界):6,000万人~8,000万人

人的損失(被害者:大日本帝国):262万人~312万人

 ※朝鮮人日本兵、台湾人日本兵含む

当時の大日本帝国人口:7,138万人

人的損失人口比率:3.67%~4.37%

参考:Wikipedia:第二次世界大戦 の犠牲者

 

【関東大震災】

被災:190万人

死亡、行方不明:10万5,000人

参考: Wikipedia:関東大震災

 

【阪神・淡路大震災】

死者:6,434名

行方不明:3名

負傷者:43,792名

参考:Wikipedia:阪神・淡路大震災

 

そして、東日本大震災です。

 

【東日本大震災】

死者:15,854名

行方不明者:3,155名

参考:Wikipedia:東日本大震災における死者・行方不明者の推移

 

というような状況です。

 

さすがに第二次世界大戦は桁外れですが、関東大震災も大災害であったことが、数値上からよく分かります。

もちろん、どれも大きな損害を被った事は間違いなく、どれが上でどれが下である…というものではないと思います。

あくまでも死傷者数などを比較対象とすると、上記のようになるという事ですね。

 

 では、これらの戦争・災害について、私たちはどれくらい認識しているのでしょうか。

どれくらいの方が記憶しており、印象に残っているでしょうか。

 

「風化させない」という気持ちは、これらの戦争・災害が起きた際も同じように持ったはずなのです。

 

時間というのは、ときに残酷なものでもあったりしますよね。

まさにその瞬間であれば感情的になるものの、時間が経てばそれも薄らいでくる。

ある意味、それは人間が生きていく為の本能なのかもしれません。

 

しかし、その機能があるからこそ、人間としての自我が保てているのではないでしょうか。

一番最初の辛い感情が一生付きまとうのであれば、精神が崩壊してしまいます。

ある一定期間過ぎれば気持ちが落ち着いてくるというのは、必然のことなのでしょうね。

 

どのレベルかにもよりますが、「風化させない」ためには努力・工夫が必要です。

漫画や映像として残し、それを教育の分野に落とすべきではないか…と思います。

 

私が自信を持って「記憶」しており「印象」に残っているものがあります。

まさに「風化していないもの」。

 

それは、

「げんばく(原子爆弾)」

です。

小学生の頃、「はだしのゲン」という漫画を読み、強い衝撃を受けた事は今でも覚えています。

 

どうしてその本を手にとったかは忘れましたが、小学校の図書館で「はだしのゲン」を読みました。

空中で爆弾が爆発し、きのこ雲が出来たこと。

爆弾が破裂した後、熱風で人が人でなくなっていくこと。

階段に、人間が焦げたと思われる黒いシミが付いたこと。

皮膚がただれた人が町をさまよい歩き、やけどの痛さを和らげるために河に飛び込んでいること。

その描写は、小学生ながら非常に怖かったです。

 

しっかりと私の脳裏に焼きつきました。

戦争はしてはいけないこと。

げんばくは恐ろしいものであること。

それは、今でも思っていることです。

自分の中では、まさに「風化していない」のです。

とても貴重な教訓となっています。

 

「はだしのゲン」には賛否両論あるようですが、私はこの漫画を子供の頃に読んだからこそ、戦争の怖さを実感できたのでした。

 

一方、関東大震災はどうでしょうか。

大災害であった事は認識していますが、詳しい内容はあまり知りません。

昼時で火を使っていた時間だったため、あちこちで火の手が上がり、被害が広がった…くらいの印象です。

 

ここが、一種の怖いところなのだと思います。

10万人以上の方が亡くなっているのに、あまり印象が無い。

普段の生活の中に、あまり溶け込んでいない。

終戦記念日と違い、関東大震災の起きた日というのは、特になんの感情も抱かずに1日を過ごしています。

 

そもそも、関東大震災はいつ起きたのか?

どれくらいの方が答えられるでしょうか。

答えは、1923年9月1日です。

 

9月1日…何かしてますか?

10万人以上の方が亡くなった大災害です(東日本大震災の6倍以上です)。

被災者の人数も190万人と、桁外れです。

東日本大震災の3月11日のように、黙祷してますか?

あの時は火の元が原因だったんだ、地震の際には火の元に気をつけようと、改めて心に誓っていますか?

 

私は、特に何もしていないというのが正直なところです。

9月はむしろ、9月11日の米国同時多発テロの方が印象に残っています。

 私にとっては、関東大震災は「風化してしまったもの」なのだと思います。

 

教科書に載ることが、「風化させないこと」なのでしょうか。

ある意味そうなのでしょうが、少し違う気がします。

教科書に載った瞬間、災害という認識というよりかは「歴史」になり、遠い過去のように思えてきます。

 

加えて、「テスト出るのか出ないのか」という事が、一番気になるポイントです。

年号や死傷者数なども、基本的には「暗記」です。

特に年号は、ゴロ合わせで覚えるようになるでしょう。

災害の背景や、それに伴う被災者の心境等、ほとんど考えません。

 

興味の対象は、テストに出るのか出ないのか。

それが、現実なのではないでしょうか。

 

関東大震災に関しては、私はそのようなスタンスでしたし、今でも大して変わりありません。

 

風化をさせないために、後世に伝えていきたいという方も多いと思います。

ただし、伝え方を誤ると、まったく聞き入れてもらえない怖れもあります。

 

これも、多くの方が経験しているのではないでしょうか。

戦争を経験したおじいさんおばあさんのお話、しっかり聞いていますか?

興味を持って耳を傾けて聞いていますか?

 

私は、真剣に聞いていなかったように思います。

特に、小学生の頃は、おじいさんおばあさんの話よりも他の事で頭がいっぱい。

ゲームがしたい、TVが観たい、漫画が読みたい、お菓子を食べたい、友達と遊びたい…。

「また戦争の話してる」「同じことばかり話してる」「また武勇伝を語っている」

そんな感情、起きませんでしたでしょうか。

 

おじいさんおばあさんも、ただ単に話をするのが好きという事もあったのでしょうが、戦争の恐ろしさを後世に伝えたいが為に戦争の話を子供にしている…という方も、少なからずいると思います。

それもそのはず。

昔はインターネットがありませんでしたから、後世に伝えるには、直接話すか書籍として残すか…しかありません。

 

親心と申しますか、祖父・祖母心で、戦争の話をしたかったのかもしれません。

しかし、子供にとってはあまり興味の無いこと。

自分にふりかかった災害ではありませんし、ピンとこないでしょう。

 

「風化させない」

「後世に語り継ぎたい」

 

そう思って若い世代に話をしても、真摯に話は聞いてくれないでしょう。

だからこそ、努力や工夫が重要だと思うのです。

 

はだしのゲンを見る以外にも、印象に残っている事があります。

 

同じく第二次世界大戦の事ですが、六本木男声合唱団という団体が「最後の手紙」というコンサートを開いた時の事です。

「最後の手紙」というのは、軍人・兵隊が家族(特に妻だったと思います)にあてた、まさに「最後の手紙」。

その手紙にメロディーを付け、合唱団の皆様が歌う…というコンサートでした。

 

このコンサートも、非常に印象に残るものでした。

軍人・兵隊の最後の手紙は、まさに壮絶かつリアルでした。

10代前半の若い兵が書いた最後の手紙もありました。

いつの間にか、目に涙を浮かべていました。

 

感じた事は、どの国にもどの国籍の人間にも、愛する家族がいるということ。

家族を残して死にたくないとは思いつつも、お国のため、その命を捧げているのでした。

これには、非常に感情が揺さぶられました。

次回コンサートがあるかは分かりませんが、一度観てみるのも良いかと思います。

 

結果的に、私の中で「漫画」「コンサート」があったからこそ、戦争が風化していないのです。

 

私のケースで言えば、

・教科書を読んだから

・学校の先生から教えられたから

・おじいさんおばあさんから話を聞いたから

ではないです。

 

実際に被災してしまった方であれば印象は深く残るでしょうが、自分の身に直接起きていなければ、やはり印象は弱くなります。

だからこそ、東日本大震災を「風化させない」為には、努力と工夫が必要なのだと思います。

 

現代は、インターネットがあります。

TVや録画、blogやyou tube等もあります。

昔に比べれば、風化させないためのツールがたくさんあると言えるのではないでしょうか。

教育業界に携わっている諸先生方には特に、風化させない為にぜひ頑張ってもらいたいです。

 

自分にもできることはなんだろう?

 

それは、1つの宿題です。

まだまだ「これだっ!」という答えは見つかっておりませんが、少しずつ出来ることをしてきたいと思います。

 

東日本大震災を風化させないためには、まずは

「一人ひとりの想いが重要」

なのは間違いないでしょうね。

 

 

 

尾登 正幸

ブログ著者:尾登 正幸

埼玉県出身。大学3年生の就職活動期に “人生を楽しむことを手伝える” 仕事での起業を決意。同じ志を持つ仲間と3年後の会社設立を目標として共有し、ノウハウを得るため2006年に人材派遣会社に就職した。2008年12月、仲間と共にRAYERED(株)を設立し、2010年からは代表取締役に就任。ビジョンの共有を核とする人事コンサルティングや、人事適性検査にフィードバックを付けるサービスはリピーターが多い。人事適性検査をフル活用した独自のスキームにより、企業と人のベスト・マッチングを提供している。

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